top of page

第一幕 五場  文月。助走は充分……だよね?

 舞台中央、スポットライトで切り取られた空間に二人が立っていた。白い翼に黒い服の少女は俯いたまま、自分の肩を抱くようにして呟く。
「こんな事、今までなかったのに。どうしてだろう。あたし、あなたに死んでほしくない。」
「トワ……」
 彼女の前に立っていた少年――蓮は、弱々しく震える彼女の肩を抱くように手を伸ばした。
 その時。
「お前は失格だ。」
 不意に冷たい、感情をこれっぽっちも含まないような男の声がして二人はバッとそちらを見た。声がしたのは今まで何の気配も無かった上手側、トワの背後。一歩あとずさったトワの肩を、蓮が自分の方に引き寄せるように抱く。ライトがもう一つ点き、すらりとした姿が浮かび上がった。それは驚くべき事に、蓮のよく見知った人物。
「光……?」
 蓮は自分の目を疑うように呟いた。彼は答えず、一歩、二人に歩み寄る。全く感情の表れていない顔は、いつものノリのいい光を知っている蓮には別人のように見える。彼の腕を掴んだまま、トワが凍りついたように体を固くしていた。
「死神は、感情を持ってはいけない。持つ必要など無い。感情などという人間の持ちモノは、面白いがお前達にはただ邪魔。」
 さらに近づいてくる光に、二人は思わず一歩また後退る。蓮はわめくように言った。
「な……何なんだよ。おい、光!? 全然わかんねえよ。どういう事なんだよ!」
 光は静かな瞳で、かつて「親友」と呼んだ男を見つめる。その視線はまるで、自分とは違う生き物を見るような。彼の無表情な声が低くあたりに響いた。
「蓮。彼女は人間ではない。それは知っているだろう? この世界には、人間ではない存在が意外と多いものだ。八重のような人間になら分かるのだろうがな。この私だって……。」
 光はいったん言葉を切る。蓮は震え声で言った。
「人間じゃない? お前が……? じゃあ何なんだよ。お前も死神だって言うのか、トワと同じ。」
「違うな。お前とアレが違うのと同じくらい、私とアレも違う存在だ。一緒にしてもらっては困る。」
 そう言うと、彼はちょっと顔を上げてトワを真っ直ぐに見る。その冷たい視線に射抜かれたように、トワはびくりと身をすくめた。蓮はより強く彼女の肩を抱いた。
「蓮。そんなに、それが好きなのか。」
 光がそれを見て不思議そうに言う。蓮は何か本能的とも言える体の震えを堪えつつ、対峙する男の冷たい眼をまっすぐに見つめ、言った。
「ああ。俺はトワが好きだよ。最初に会った時から、ずっと。俺はこいつを守る。そのためなら、光、俺は例えお前だって敵にまわしてやるさ。」
「蓮……。」
 振り向いて、すがるような瞳で彼の顔を見上げるトワ。蓮は睨むように光を見据えたまま、その強い意思を宿した目は少しも揺るがない。と、それを見て、光は大げさに肩をすくめてみせた。瞳にほんの少し、悪戯っぽい煌きが戻っている。冗談でも言うように軽い口調だった。
「やれやれ、どうやら本当にやられてしまったようだな。これでは、もう使い物にならない。」
 どういう意味だ、と蓮が聞き返す間もなく、光はさっきの無表情に戻る。そして右手を軽く上げ、ひどく冷たい声で告げる。
「お別れだ。この世界と。」
 そしてトワに向かって、手刀の形になった右手が真っ直ぐに突き出された。
「トワ!」
 蓮の叫び声。同時に、しっかりと彼女の肩を抱いていた蓮の手が外れる。その事に小さく絶望を感じながら、トワは観念して目を固くつぶった。
 永遠にも感じられる一瞬。しかし、いつまで経ってもその胸を手刀が貫くことはなかった。トワは恐る恐る目を開ける。そして目の前の光景を見て、悲鳴を上げた。
「蓮!」
 トワの前に、蓮が素早く割り込んだのだ。光の手刀は、彼の左胸を貫いていた(ように見えるだけだ、もちろん。手は客席から遠い側である左脇の下をくぐっている)。光も驚きを隠せず目を見開く。蓮は歯を食いしばり、睨むように光をじっと見ている。ただ、その口元は少しだけ笑っていた。動揺しながらも光が手刀を抜くと、蓮の体はそのまま崩れるように倒れた。
「蓮……どうして、こんな……」
 光が微かに呟く。そんなものはトワの耳には入らない。彼女は今までにないほど泣き叫びながら、動かない蓮の体を揺さぶった。
「いやあっ! 蓮! 蓮!! どうして!? 蓮! れ……」
 その声と動きが不意に止まる。光の手が、トワの背に突き刺さっていた。彼女の瞳から一瞬で色が消え、その体はまるで壊れた操り人形か何かのようにゆっくりと倒れる。
 少年の肩の上に豊かに流れる、少女の長い黒髪。
 折り重なって倒れる二人を、光は静かな目で見つめていた。

 

「いやあ、やっぱり本当に舞台でやると違うねー。」
 本番の2日前に講堂で行われたリハーサルの後、部長が満足そうに声を上げた。その後ろでは、
「月ちゃんごめん、翼のここ、倒れた拍子に壊しちゃったみたいなんだけど、直る?」
「あー、ちょっと脆くなってたからね。こりゃ一回本格的に補強した方がいいな。」
 トワと光……もとい奈々と月香がこんな会話を交わしていた。小道具や何かが壊れるのは、意外とよくある事だ。沙矢子も申し訳なさそうに、小道具の補修など全般を担当している(単に学年で一番マシなだけだが)月香に声を掛けた。
「先輩すみません、これ、靴の踵かどこかに引っ掛けちゃったみたいで……」
「ん? あーあ、また派手にやったねー。」
 一年生の沙矢子はトワの仲間の死神・アン役。実はストーリー中にこの名は出てこないのだが、呼び名がないとやりにくいという部長の苦情により笑実が即興で考えた名前だ。彼女は黒いロングスカートの裾を両手で少し持ち上げている。一部の糸が切れたのか、べろべろだった。
「俺は今手が離せないし……。誰か、この中で縫い物できる人ー?」
 誰も名乗り出ない。すると、雪穂が軽く舌打ちして立ち上がった。
「しょうがないな。今日って月曜日よね? 待ってて、助っ人連れてくるから。」
 そう言うなり、髪を一つにまとめて伊達メガネをかけた八重スタイルのまま、疾風の如く客席を駆け抜けて行く。部員たちはただポカンとしてそれを眺めていた。

 

 その日も、工芸室はいつも通り静かだった。
「部長、これでどお?」
「ん、いいと思う。じゃあ…」
 執行学年の先輩たちは合作が佳境に差し掛かっているらしく何かと落ち着かないが、単純作業にしか携わっていない後輩たちはもうやる事がないので比較的ヒマで、平和だ。
「先輩、お花できあがりました!」
「おーっ、綺麗綺麗。良く出来てる。助かるわあ。」
 副部長に刺繍パーツを手渡した一年生は、やりとげた仕事を褒められて少し頬を染める。軽く頭を下げ、さっきまで作業していた席に戻って行った。ちょうどその時。
「おっ邪魔ーっ!」
 すっぱーんと今までに見た事がないような勢いで工芸室のドアが開け放たれ、手芸部員たちはみんな揃って飛び上がった。恐る恐るそちらを見る。と、見覚えのない高二生がやたら堂々と立っていた。勝手知ったる様子で部室内をつかつかと進むと、呆れ果てた表情の部長に笑顔で声をかけた。
「ミネコ、手貸して。」
「何をおっしゃる。見て分かんない? 今忙しいの。」
 手芸部一の手先の器用さと可愛らしさを誇る中里峰子部長は、ぴしゃりとばかりに断る。知り合いなのだろう、対応が慣れている。というか諦めの気配さえする。相手はちょっと困った顔をして、手も止めない峰子の顔を覗き込むようにして懇願する。
「お願い。どうしても今すぐに、私の知る限りで一番器用なあなたの助けが必要なの。」
 ちょっと芝居がかった台詞回し。峰子はやっと手を止め、ため息をつく。
「折角の雪ちゃんの頼みだし、聞いてあげたい気持ちは山々なんだけど……。わたし部長なの。抜ける訳にいかないのよ。」
「そんなあ。」
「がっかりしないで。後輩なら派遣してあげられる。それで足りる?」
 峰子の言葉を聞いた途端、雪ちゃんと呼ばれた先輩の顔がパッと明るくなった。何度も何度も頷く。
「うんうん、充分。ホントありがとう。さすが峰子、一番頼れるわ。」
「って、全員に言ってるんでしょ。」
 軽く流す部長。うーん、クールだ。でもその通りなのだろう。相手はテヘッと舌を出した。
「どの子がオススメ?」
「品物じゃないんだからね、まったく。うーん、そうだなあ……。」
 手芸部は人数がそんなに多くないので、中学生も高校生も一緒に活動している。トップは当然、高校二年生だ。そのさらにトップである部長の峰子はゆっくりと、思い思いの活動をしている後輩達を見回す。その目がぴたりと一人の高一ので止まった。
 その数秒後、部長のご指名を受けた彼女は初対面の先輩に手を引かれて、裁縫用具だけを片手に事情説明もされないまま廊下を走っていた。

 

「お待たせー! 手芸部員連れて来たよっ!」
 雪穂部長がバーンと客席のドアを開け放って姿を現した時、彼女が走り去ってから5分も経っていなかったのではなかろうか。満面の笑顔で講堂中に響き渡るそんな叫び声を上げ、掴まえてきた‘助っ人’を引っ張り込む。連れて来られたのは、セミロングの髪を後ろで一つにまとめた見慣れないメガネ少女。どうやら一年生らしい。自分の置かれた状況が分かっていない様で、戸惑い顔をしている。まだトワの翼の補修中だった月香がちらっとそちらを見て尋ねた。
「部長じゃないの?」
「合作の用意で手が離せないってさ。代わりに一年生借りてきた。中里ちゃんのお墨付きだから、腕は確かよ。」
「……その様子じゃ、何の説明もせずに連れて来たな。可哀想に。」
 そこで初めて自分の作業の手を止めてそっちを見た飛鳥が、驚いたように言った。
「あれ、綾瀬ちゃんじゃん。」
「飛鳥ちゃん、知り合い?」
 雪穂の問いに、飛鳥はこくんと頷く。
「中学もここだし、今同じクラスなんです。ね。」
 飛鳥の言葉に、彼女は明らかにホッとしたような顔になって頷いた。そして改めて部員全体に軽く頭を下げる。飛鳥が駆け寄って、月香と交互に口を開いてだいたいの事情を説明した。仕事を前にすると、綾瀬ちゃんの眼鏡の奥の目の色が変わった。
「まつり縫いすればいいんですよね?」
 そう言うと、邪魔な糸を取り除いてから黒糸を取り出して、何の迷いもなくさっさと縫っていく。
「は、早っ。」
 脇で見ていた雪穂が舌を巻く。ものの数分で、かなり広い範囲のほつれが綺麗に元通りになった。
「凄いねー。綾瀬……アイナちゃん?」
 京花がその手元を覗き込んで感心したように言った。裁縫バッグの名札を読むと、見事な技を披露した手芸部員はちょっとはにかんで首を横に振った。
「それ、エナって読むんです。愛に那覇の那で、愛那。」
「へえ、珍しい。」
 いつの間にか背後から綾瀬愛那を覗き込んでいた礼子が呟いて、気づいていなかった彼女はちょっとビクッと飛び上がった。ふと見れば部員は全員集まっており、すっかり和んでいる。それに気付いた月香がパンパンと手を叩いて会話は打ち切られた。
「ほらほら、もう直ったならもう一回通すよ。綾瀬ちゃん、折角だから観ていくかい?」
「ありがとうございます。でも、部活に戻ります。明後日観に来ますから。」
 笑顔で言った愛那に、月香はじゃあよろしくと微笑んだ。その瞬間、愛那はパッと顔を赤らめる。では失礼します、なんて消え入りそうな声で言って、逃げるように講堂から出て行ってしまった。
「さすが。イケメンはモテるねえ。」
 京花がすくすく笑う。月香はちょっと肩をすくめてみせてから、最初のシーンの合図を出した。

bottom of page