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第一幕 一場  新緑。その中で、小さな波乱の予感がした。

 高校校舎と付属中学の校舎の間に挟まれて立つ二階建ての建物、通称部室棟。高校側の入り口から入って三つ目の部屋、やや色褪せた茶色いドアの前で、二人は足を止めた。目線の高さに掛けられた「演劇部」の札をもう一度確認。一つ大きく深呼吸をしてから、栄はそっとノックする。中から返事が聞こえるのを待って、一息にドアを開けた。
「失礼します!」
 中にいた部員七人の視線が一斉に集まるのを感じて、二人ともさすがに怯む。と、奥のほうにいた一人がひらひらと手を振って言った。
「あ、新入部員の一年生? まだ部長も副部も来てないから、どっか適当な席に座っときな。」
 彼女はどうやら上級生らしい。ショートヘアで、綺麗なハスキーボイスに口調も男っぽい。男役を演じたらきっと素敵だろう。軽く会釈して近くの席に着いた。すると、やはり奥の方に固まって座っていた上級生の一人が座っている椅子を引きずってやって来た。笑顔で二人に話し掛ける。
「二人は、舞台とか経験あるの? 他の一年生の子達は初めてらしいけど。」
 この様子だと、全員に聞いて回ったらしい。二人が頷くと、嬉しそうににっこりと笑った。うん、なかなかの美少女。飛鳥よりやや長い――胸くらいまである髪を二つに分けて耳の後ろで結んでいる。しかもショッキングピンクの太ゴムで。派手なヘアアクセサリーは禁止だけどゴムの色まで指定はないから、校則違反ではないけど口うるさい先生だと危ないというギリギリラインか。ささやかなオシャレだ。とっても女の子らしい。
「よかった、経験者増えて。二年生もあたしともう一人は新人だし、心配だったの。」
 それを聞いて栄は改めて周りの部員たちを見回してみた。上履きの色からして、一年生が自分たち含めて5人に二年生が4人で、部長と副部長が来るとしても全部で11人。それに、本来ならまだ引退していない筈の三年生の姿もない。
 この部、去年はどうやって活動してたんだろう? 栄の脳裏に当然とも言える疑問が浮かんだ。
 栄が辺りを見回したからだろう、彼女はふと気付いたように言った。
「あっ、そうそう。あたし狛江京花。あの男みたいなのが礼子で、あの子が北沢さん、そんであのちっちゃいのが七波って言って、あたしと同じ新人。今いる二年生はこんなもんかな。」
 一息で全員分の自己紹介を済ませてしまう。ある意味すごい。指差しただけであの子呼ばわりだった人をまとめると、さっき二人に声をかけた背の高そうなイケメンが礼子先輩、一番窓際の端に座っている超ロング三つ編みの美女が北沢先輩、小柄で短めの髪をうなじでしっぽにしているのが七波先輩。私らも一応自己紹介したほうがいいのかな? と栄と飛鳥が目を見合わせた時、ガラッと勢いよくドアが開いた。
「お待たせー! 遅くなってごめんね諸君!」
 いやに軽い口調でそんなことを言いながら入ってきた二人組。一言でいうと、かなりの美人だった。
 二人とも二年生で、おそらくさっき礼子が言っていた部長と副部長だろう。と思ったら即興で作ったらしい紙の名札を着けていた。叫んだのは部長。やや茶っぽい髪は腰まで届くかというほど長い。副部長は漆黒のショートヘアで、一見すると男女ペアのように見えなくもない。ただ、二人とも全く同じと言っていいほどよく似た顔立ちだった。
「遅い。」
 礼子のものすごく不機嫌そうな低い声を軽く無視して、部長は教壇に上って教卓に両手を置いた。副部長は腕を組んで閉めたドアにもたれ、部室の中を見渡す。
「さて早速だけど、今日は新しく入った一年生に自己紹介でもしてもらおうかなと思います。でもその前に二年生からね。」
 部長の言葉で、先にいた4人から順に学年と名前を言っていく。栄達はそれでやっと狛江京花以外のフルネームを知った。相模礼子、北沢奈々、町田七波というらしい。最後に、副部長が部長の隣りに立って口を開く。
「白金月香です。一年間副部長をやらせてもらうから、よろしく。」
「そして私が、部長の白金雪穂。二年生は知ってると思うけど、月香と私は二卵性双生児なの。」
 なるほど、道理でよく似ていらっしゃる訳だ。そして部長は何気なくこっちに目を向けた。視線が合ってしまう。
「じゃあ、次は一年生ね。そっちからよろしく。」
 そして綺麗にウインクまで投げてよこす。ここまでされてしまっては断れないので立ち上がり、緊張のあまり声が震えそうになるのを必死に堪えながら自己紹介する。
「一年D組の神谷栄です。よろしくお願いします。」
 栄に続いて飛鳥も立ちあがる。こちらは露骨に声が震えてしまっていた。
「C組の西原飛鳥です。よろしくお願いします。」
 そして座ってほーっと大きく息をつく。栄はそれを小突き、小声で聞いてやった。
「どうしたんだよ、いつもの舞台度胸はどこ行った?」
 飛鳥は栄をキッと睨み、さらに小さな声で真剣に言った。
「栄、月香先輩ってすごくカッコいいと思わない?」
「は?」
「立った瞬間、目が合っちゃって。一瞬で頭真っ白になっちゃったの。」
 ああそうですか。栄は呆れ返って適当に返事をした。飛鳥が面食いで惚れっぽいのは今始まった事じゃないが、女子中学に行ってからその対象がいつの間にか女性にシフトしているようだ。大丈夫かこいつ。
 二人に続いて、ほかの一年生も緊張しながら自己紹介をしていく。最後に一番端に一人で座っていたポニーテールガールが勢いよく立ち上がった。
「一年A組、戸塚美園です。よろしくお願い致します。」
 凛とした声で言い、すとんと腰をおろす。その次の瞬間なぜか振り返り、栄と視線が合った。
 二人はしばし睨み合う。そのうち、美園はふいと顔をそむけた。
(何なんだよ、今の……)
 あまりの鋭い視線に、思わず睨み返してしまった。けど、本当はそこは何事もないような涼しい顔でにこやかに会釈でもすべきだったかも知れない。そう思い当たったのはしばらく後だった。
 それに気付いているのかいないのか、部長はちらっとこちらを見ただけで話を続ける。
「これで全部員、11人での活動になります。見ての通り人数は多くないから、一年生も当然舞台に立ってもらうわ。もちろん一番の大舞台は文化祭だけど、その前にも七月公演があるからそのつもりでね。」
 先輩のお言葉の間も栄が考え込んでるのが分かったのか、飛鳥がこそっと囁く。
「何してんの? 初日からいざこざ起こさないでよね。」
 そんなの知らない、あっちが睨んできたんだと言い返そうとしたが、それを無視して飛鳥は前を向いてしまった。栄はふうっとため息をついて、自力で考えを巡らせ始めた。

 

「戸塚美園? 中学三年間同じクラスだったから知ってるけど……あの子、今度は何やらかしたの?」
 翌朝一番、栄は入ったばかりの文芸部に提出するための原稿に熱中していた安芸子に声をかけた。美園の名前を出した途端、彼女は露骨にいやな顔をした。
「やらかしたって……問題児か何かなのかよ。」
 冗談だろうと思ってなかば呆れたように言う。安芸子は興味なさげに首を振った。
「いや、まあそういう意味で言えば普通の子。」
「じゃあ、どんな子?」
 そう尋ねると、安芸子は待ってましたとばかりに一息で言った。
「自己中で自信過剰で自分は何でも出来ると思ってるバカ。」
「……仲悪かったんだね?」
 安芸子はふんと鼻を鳴らして言い足す。
「めちゃくちゃ、ね。当然でしょ。あのタイプと私と気が合うと思う?」
「思わない。」
 栄は思わず即答する。先日あるクラスメイトに日本人形風美人などと言う変な形容をされていたほど物静かでおしとやかで大人しく見える顔立ち、そして普段はそれに合う笑顔を絶えず浮かべている安芸子。しかしやはり人は見かけによらないものらしく、にこやかな仮面の裏にはかなり執念深く腹黒いものがあるというのを栄には仄かに見せるようになっていた。まあそれだけ心を許されているという事だろうか。まだ他のクラスメイトの前では完全に猫かぶったままでいるつもりらしい。今回のキツい台詞も、栄にしか聞こえない小声で発されている。
「私は関わり合いにならないように気をつけてたから、積極的に喋った事はないな。……ん? 待てよ、本気で口きいた事ないかも。特に用もなかったし。イジメっぽいのされそうになった事もあったけど、相手にしなかったら向こうが折れた。」
「……。」
 さすがは飛鳥の親友だ。真っ先に栄はそんな感想を抱いた。類は友を呼ぶというのは本当らしい。そして、
「やっほー、栄いる?」
 なんだか見計らってたようなタイミングで教室の入り口に飛鳥がひょいっと顔を出した。二人を見つけてちょこちょこと小走りで寄って来る小柄な少女を見て、安芸子がひゅうっと口笛を吹いた。
「さすが姫。マンガだったら背景に小花が散ってるね。」
「何言ってんの安芸ちゃん。」
 流石に飛鳥は慣れたもので軽く流す。近くの椅子を勝手に引っ張ってきて、自分の椅子を横に向けた栄と同じように安芸子の席の脇に腰を下ろした。
「で? 二人とも、何の話してたの?」
「昨日のアレ。」
 栄が一言だけ言うと飛鳥は当然分かったらしい。ただ、あぁ、と頷いた。
「戸塚さんね。ねえ安芸ちゃん、あれ何だと思う?」
「何と言われても……私はただ、あの子がどんな子か聞かれただけよ。あいつ何したの?」
 困り顔で安芸子が言うと、飛鳥は顔に似合わない事をすらっと答えた。
「簡単に言うと、ガン飛ばしてきた。」
「ほんとに顔と台詞の噛み合わない娘だなこいつは……」
 栄は呆れて聞こえないような声で呟く。これこそ、人は見かけによらないの具体例。小さい頃から小柄で可愛らしく弱々しい外見だった所為で苛められた事も多いものの、お陰で慣れてしまったのかイジメを上手くあしらうスキルを身に付けている。安芸子から聞いた話では、中一の時苛めようとした相手を返り討ちにしたらしい。どんな手段でかは知らないし、知りたくもないけど。
 栄の台詞が聞こえなかった筈はないが軽く無視して、飛鳥は安芸子の顔を覗き込んで少々わざとらしく小首を傾げてみせる。安芸子は妙に納得顔で頷いた。
「なあるほど。まあそんなこったろうとは思ってたけどさ。で、その視線の先にいたのはどっちよ?」
「私だけど……」
 栄がおずおずと答える。と、安芸子はぴくっと眉をあげた。
「え、そうなの? そりゃ意外だ。あーちゃんだと思ってたのに。あの子、いつの間にキャラ変える気になったのかしら?」
「どういう事?」
 今度は本当に意味が分からなかったらしく、素できょとんとした飛鳥。安芸子はそれをまっすぐ見つめて訳知り顔で説明を始める。
「あーちゃん、あの子が中学でダンス部に入ってたのは知ってるよね?」
「うん。」
「あの子の目指すのってどっちかってとアイドル路線、可愛い方向だったみたいなのよ。何て言うかさあ、うちの学校じゃ浮くくらい‘今ドキ!’って感じのかわい子ぶった格好してたじゃない。ダンス部の中でも特に。だから、ライバル視するならあーちゃんかなあと思った訳。」
 一瞬、栄と飛鳥は何の事かと互いの顔を見合わせ、同時に安芸子へ向き直った。
「何でわたし? わたし別に可愛い子キャラ狙ってないわよ?」
「いやいやいや、何でアイドル目指して飛鳥がライバルなんだよ。」
 飛鳥と栄が同時にツッコむ。安芸子は呆れ返ったように二人を交互に見、肩をすくめた。
「これだからこの幼馴染コンビは……何も分かってないね。本人がどう思ってるかなんかこの場合問題じゃないの、あっちが勝手に思い込んでるだけなんだから。それにね、いい? あーちゃんはか・わ・い・い・の! あーちゃん、自覚してないとは言わせないし謙遜も無用よ。」
 飛鳥が口を挟むより早く手と言葉でそれを制する。伊達に中学三年間一緒にいた訳じゃないらしいな、扱いが手馴れている。押し黙った飛鳥に満足したのか、安芸子は背もたれに寄りかかって独り言のような調子で言った。
「あの子もなあ、どうしてこの学校に来たのかなあ。そもそもあんな性格だと女子校に来たのが間違いの元、ってか悲劇の始まりだったって気もしたんだけどねー。」
 それはそうかも知れない。栄も飛鳥も頷いた。と、安芸子は急に我に返ったようにハッとした。
「っと、違う違う。今の問題はそれじゃないんだ、相手はあーちゃんじゃなくてえいちゃんなんだから。ま、それならそれで問題ない気もするけどね。えいちゃんてば素直にイジメられる様な奴じゃないし、それ以前に鈍そうだし。」
「あのな。」
「あーちゃんも気を付けなよ? セットで見られたらとばっちり食らうかも。」
「わたし?」
 飛鳥はきょとんとする。今度のはちょっとわざとらしい。そして、飛鳥はにっこりといやに力を込めた笑顔で言った。
「あら、わたしなら大丈夫よお。打たれ強いもん。経験値あるしね。」
「……あっそう。」
 その言葉は確かに本当なので、安芸子も栄も何も言えなくなる。その時ちょうどチャイムが鳴って、飛鳥は立ち上がると大げさなほど優雅にお辞儀をして隣の教室へ帰っていった。

(C) 2014 Megumi-Kamnatsuki

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